来歴

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来歴

生後まもなく鹿児島から大阪に転居。6歳の時に堺市の青英学園SCでサッカーを始める。向陽台高等学校に在籍。1997年、ガンバ大阪の下部組織からトップチームであるガンバ大阪に昇格し、17歳6か月の当時最年少でJリーグ初出場。17歳7か月で初得点している。1998年春、姫路市立琴丘高等学校のエースだった播戸竜二が練習生としてガンバ大阪に加入し親友に。

1999年には、FIFAワールドユースで準優勝を果たし、シドニーオリンピック・サッカー日本代表、A代表にも招集されてAFCアジアカップやFIFAコンフェデレーションズカップに出場。日本代表の主力選手に成長した。CAP数71は歴代13位。

2001年、以前Jリーグでクラブの監督をしていたアーセン・ベンゲルに見込まれて、イングランドプレミアリーグの強豪チームの一つアーセナルFCに移籍。 2002年、日韓W杯代表に選出され、W杯に初出場。ベルギー戦では一時逆転となったゴールを、ロシア戦では決勝ゴールを決め、日本の初勝ち点、初勝利、決勝トーナメント進出に貢献。

W杯後、出場機会を求めてプレミアリーグのフラムにレンタル移籍した。この年はW杯での活躍などからバロンドールにノミネートされた(日本人としては中田英寿に次ぎ2人目)。UEFAカップ出場権を争うインタートト・カップのボローニャ戦で、欧州では日本人初のハットトリックを達成。リーグ戦でも当初は活躍し、完全移籍目前とも言われたが、怪我もあって徐々に出場機会を失った。1度のレンタル期間延長を経て、2004年のイングランド戦で左足を骨折する重傷を負った事で交渉が決裂し解雇される。その後ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン、カーディフ・シティにレンタル移籍する。

2006年6月、ドイツW杯に招集される。第2戦のクロアチア戦の後半に途中出場。第3戦目のブラジル戦、稲本からの左サイドへのグラウンダーのパスによるサイドチェンジは玉田圭司のゴールの起点となった。チームは2敗1分でグループリーグ突破はならなかった。2006-07シーズンはトルコ1部リーグのガラタサライに移籍。UEFAチャンピオンズリーグの本大会に出場し1得点を記録する。2007-08シーズンも残留する予定であったが、監督退任に伴い退団する。

2007年5月、同期の高原直泰が当時所属していたドイツのブンデスリーガ、フランクフルトへ2年契約で移籍。移籍会見翌日にキリンカップのための日本代表合宿に合流し、オシムジャパン初招集となる。2009年6月、フランス1部リーグのスタッド・レンヌに移籍。2009年9月9日の親善試合・ガーナ戦では岡崎慎司の同点ゴールをアシストし、自身6年半ぶりの代表での得点となる決勝ゴールを挙げる活躍を見せた。レンヌでは当初は出番があったが、若手の台頭もあり徐々に出場機会に恵まれずベンチを暖める日が続いた。翌年の南アフリカW杯を視野に国内復帰を模索していたところ、2010年1月12日、レンヌより川崎フロンターレへの完全移籍が発表された。

Jリーグに復帰を受け、日本代表の岡田武史監督より2010年の1月25日から行われた代表合宿に追加招集され、また東アジア選手権にも出場した。2010年5月には南アフリカW杯の日本代表メンバーに選出された。稲本にとっては3度目のW杯出場となった。本大会ではグループリーグでのカメルーン戦とデンマーク戦に途中出場した。

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